凪とEMPiREと壁紙と艶消しスプレーのブログ

だだ何か書きたくなったら書く。中毒にも色々あるんだろうけど、自問自答中毒はたちが悪いよな、いや体に精神に悪い。見えないものを見たい好奇心が空想、想像を答えがあるような幻想。減速しないまま夜が明け繰り返しで諸行無常の響きあり?無し。待てど暮らせど予想変化、様相返還、予想変換が浮かばない。浮かばれない気持ちはどこに沈む。十字に割かれるように体は痛く、足を引きずり、顔も引きつり、私は過去を引きづって綴ってる。

納得。

納得の果て

 

私は納得しないと動けない。

それは自分自身が納得するということで、外の世界で正しいとか、合理的であるとかじゃない。

 

私が私の感覚でそれを見てどー感じて、引き込んで溶かして混ざってようやく消化した時が納得だと思う。

 

毎回、毎朝毎夜、自分で自分を説得している。

あれでもないこれでもない。

後ろを見るときりがない。上を見ては期待を膨らますと完全な形ではないと醜く感じてしまう。かといえその場を見なければ暗い部屋から動けない。

止まってしまう事はさらに現在を悪くすることだろう。

待つことも良いことだろう。

しかし今はそうではない。

きっとそうではない。

 

世界がどんどん狭くなる狭くなっていく事が分からなくなるぐらい狭くなる前に、目の前にぴたりと近づいた壁は遠近感覚を失わすじゃないか。

 

 

動機と衝動

やる気がしない。

やる気がない。

やる事があるが後回しにする。

 

動き出せばやる気が出る。

そう動けばやる気は出る。

押しがけのバイクだよなー停止状態から稼働状態になるには

動くしかないという「動機」「モチベーション」「やる気」みたいな言葉はガソリンじゃないんだろう。

一般的な人は「必要か不必要か」だけで動く。動く為の理由は「いますぐ」だったり「まだ先で良い」ぐらいのラフな感じに時間を大切にただ時間を大切にして生活を行っているのだろうと考える。

私のやる気は衝動と依存なんだろう。

 

衝動の言いかえを調べると「気まぐれ」

英語のが面白い「a strong spontaneous and irrational motivation」

 

自然発生的で不合理な強い動機が日本語訳ででてくる。

 

衝動は辞書的には「外的刺激を受けて起こる心の動き」しかし不合理なのはフロイト精神分析にある「イド」っていう概念によると快楽原則に沿ってある貯水池みたいなもので外的刺激により蓄えられていた無意識化のものが浮き出てきてまた無意識に戻るから現実では不合理に見える。

 

私のやる気は「無意識」の中にある。

そりゃやる気とか見えるわけないよなーとか思う今日この頃。

 

 

肺が痛い

肺が痛い

 

5月の中頃から微熱が続き、月末にはPCR検査などを多数受けたがコロナではなかった。

微熱から息苦しい・・・階段を数段上るだけで息切れがする。KFマスクをすると息ができない。

 

「こりゃなんだ・・・」

 

となり総合病院に行くことにする。

血液、検尿、CT胸部レントゲン、心電図をとり肺炎、軽度肺炎となり抗菌剤を一週間のむことになる。

しかし、息苦しさは収まらない。

それを医者にいうと「一般内科ではわからない」とのたまわれ、曜日違いに来るであろう非常勤の呼吸器内科の医師を予約するか聞かれる。

 

最初の時点でそう何故しないのか腹が立ってきたし予約が満員であり定員も少ないそして四日は空くことを知り私は「この病院には呼吸器が非常勤しかないのですね!よそ紹介してください!」

 

その一般の内科医は「私が知る限りはありません」といいやがる。

 

「は~~~~~あ⁈」である。

 

 

さんざん検査だけして、材料集めて判断するのが医者やないのか??

最終的には開業医でどこかないかと聞いて少し遠いがあるとなり、そこを紹介になるという話から、また一転「あそこはCTがないかもしれないのでCT胸部をもう一度取りましょう」となる。しかしまた一転「色々と考えたところ県立総合病院を紹介したいと思います。

 

もうめんどくさくなってきた。

県立の総合病院だったならCTは要らないだろうし、なぜ急いでここで見もしないCT取らした。

今日行った血液検査で私の白血球の値は高くなり120だ。なんらかなっとるのよ。前回よりも高い基準値より高い。

なぜ何もない可能性にこいつは賭けるのだ?普通逆じゃね?

 

息苦しさが数歩歩くだけで出る言うてるのよ

お前で分からないならすぐ他所に任せるぐらい機転を利かせよとマジ思う。

医者の紹介状を読んだら馬鹿みたいに古い言い回しで「ご高診をお願いします」と書かれていた。

 

もっとスピードあげることできないのかよ

 

 

 

机の上の小物は床に行きがち

テーブルを買ったりして何らかの作業をするのだけど、そのテーブルには座らない現象をなんと呼ぼう。

結局のところ物が集まりそこでノートパソコンを開いて色々と近くに物が集まりだす。

モノが集まるからなのか?
パソコンで仕事をするからなのか?

妖怪の仕業です。

嘘です。


視野の中に色々とあるほうが良いんだろうか、右側に譜面台を置き本を見ながら文章を打ったり参照したり、正面にテレビがあったりする。私のデスク回り。デスク上。

0.8m内に収まるこの世界が一番楽なのかもしれない。

そして置けない者。今はいらない選ばれない者達は床に行きます。

しかしいつか要ります。

精神医学の歴史と考証

最近、精神医学の歴史のYouTube解説を見ました。

自分が思っているカウンセラーやカウンセリングイメージが1900年代のそれと気づけた。

良く海外ドラマで肖像画の掛かっていて暖炉があり、壁一面が本棚。そして猫足の椅子に掛ける心理博士もしくはカウンセラーが傾聴する部屋みたいなイメージ。

 

私は医者が嫌いでさらに精神科や心療内科も歴史が浅くなんだか信用できないみたいに感じていたけど、私の考えは古い。フロイトユングで止まっているんだと思えた。

 

1900年代の精神医学の父であるフロイトは老人の認知症精神疾患とも思っていなかったという発言もある。真意はわからないけども、時代的に70歳を超えたら治療対象としなかっただけかもしれない。

 

現代は科学の発展で医療技術が上がり寿命も延びたこともある。認知症や終末期ケア・緩和ケアの一旦は精神科医学の分野になっている。

 

1900年代では1対1のカウンセリングでの濃密な対話で回復する人も大勢いた。手法としてあっていたかもしれない。患者と医者の信頼関係あってこその治療だろうし、弊害として投影や同一視を医者は警戒することになるだろうけど、それは情報というものが構造主義の中では権威であり、密室で秘密裏に行われる研究みたいな側面も多くあったのかもしれないなんて感じる。ネット時代とはいささか違いを感じる。

 

物事は表裏がつきものだろう。

 

当時だと優生学もあっただろうし治す側が隔離をする側でもあったと思う。マッド精神科医とかマッド解剖学者がうじゃうじゃで、非常識、非道徳、悪趣味のパレードがあったとも思える。

 

グリムの残酷物語・・・

話が逸れた

 

目を現代に向けると、心療内科とかに行ったことない人にはわからないかもしれないけど、「診察5分/月二回・薬物療法セット」が提供されます。

すごく思い詰めてやっとの思いで、苦々しくも自分を受け入れて、すがる思いで扉を開く心療内科の診察はあっさり味で天下一品のラーメンなら頼まないだろう。

 

こってりを所望!!出てこない

 

2022年に心療内科に行くとだいたいそのような感じになります。

何故なら今は個人の時代である。名前がない時代。

ポスト構造主義な時代であるからして、精神医学は脳科学に準拠しながら手探りだったりするからプラグマティズムになる。

ケースバイケース、多種多様を念頭に薬で抑えれる部分を探る。

 

社会復帰プログラムなどの提案や手帳の申請だったり検査紹介などの福祉とタッグでトータルケアをするチーム制といった感じなので、診察時間も短時間に他の福祉サービス者からフィードバックなどで治療者を見ているのだと思う。

 

実践主義(プラグマティズム)「行為やその結果に基づいて判断」する際に、「実際に役に立つか、意味があるかどうか」という視点。大事なことは、探求や実践といった行動を重きにおき「行動結果で都度検証して修正を加え判断して進む姿勢」

 

その話の中でもあったんだけど、AIを作るのにニューラルネットワークがいる(脳内神経細胞のネットワーク構造をもした数学モデル)そうです。

 

それは脳内ネットワークは入力⇒出力みたいな構造は人間はしていなくて、ある部分が弱いなら違う部分が補ったりする入力⇒中層⇒出力みたいなことを脳はしているそうです。

そのことから言葉で患者に傾聴や問いかけばかりの治療、カウンセリングでなく訓練や体験で補う脳機能回復を促すのが現代の精神医学の治療なんだな~と理解でき私の不安が一つ無くなり成仏した。

 

誰か行く機会があれば診察が拍子抜けでも、現代はそう!とアップデートしていくと良いと思う今日この頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今週のお題

今週のお題「買いそろえたもの」

 

スーツ

ベルト

 

私は就活をする初老の人です。

しかしジャケットがありません・・・

 

もう春か~春夏用に一着あった二つボタンのあのジャケットは虫が食べてしまい穴が開いてました。

 

着れません。

 

なんとなくリサイクルショップで買ったジャケットは、三つボタンの黒スーツは今時は金融屋ぐらいしか着ないようなデザインで着るのに勇気がいる。

とても就活面接に使える代物ではありません。

 

色々と仕事を探すのにも道具が要ります。

ドラクエでいう装備を揃えてる気分になります。

綺麗な服を着ていると気分も変わりますしそれは良いことだと思う。

 

 

まだ揃いきっていないのでワイシャツとT-falのスチームハンディーアイロンを買いました。アマゾンで悩んだ末に買った!決めたT-fal

そしてアルミ製のアイロン台。

 

 

「あっこれ総額を考えたら、安いスーツなら買えてたんじゃない?」って思いました。

 

必要以上に必要なことをしていて優先度がおかしいのか・・・

そうではないと祈るばかりの今日この頃

 

 

 

 

カウンセリング

私はカウンセリングを受けている。

 

継続的に入っている入っている入っている入っているいている行ける入っている

音声でブログを書こうとすると上のようにな今もそうだけど句、句、句、句、封筒売ってん違う違う違う違うどういうこと…

 

読点!言いたいのはこれ!

 

なんなんこれなんなんこれはちゃんと出るんやな

 

どういう制度なの生徒じゃないよ生徒じゃない制度せいろせいろせいろじゃない制度もういいです

 

 

話を戻すとカウンセリングをしていると話を聞いてくれるだけど話がずれている感じがするフリマフリマじゃない今だよ

 

まあこんな感じなのかな走ってるのに走ってんじゃない発しているそ走っている走ってんじゃない発しているそれ

 

こういうことなのかな齟齬がある噛み合わない髪西違う発生発生発生発生手で打ったほうが早い

 

発声が悪い。