心の理論と映画
子持ちの知り合いと居酒屋で飲んでいた。
スターウォーズの映画が上映されるのだけど、そのチケット代は小遣いからだすので、子供分もかかって高くつくっていう話をしていた。
でも、子供には映画を見せたいって言っていた。
何故だろうって思っていたら、「俺の幼少期にも親父に映画によく連れて行ってもらったからなっ」だそうだ。
そういえば私は連れてもらった記憶はない。
この子持ちの友人Aさんは、人見知りで感情表現は得意ではない。
でも何を考えてるかわからないっていうタイプでもない。
大らかで他者の考えを自身とは分離して考える。
自己中心的であり利己的でない。優しい人だと俺は思っている。
人生じゃ誰かと顔を合わす機会が多くて、その中でその行動原理を読むことって多くなる。それを「心の理論」を理解しているというらしい。
他人なんてわからないってのが前提だけども、「他者理解」ってのは自分と他者は違う目的、意図、知識、信念、志向
そういった事を覚えるのに「映画」という媒体はいい。
何故なら映画は「感情装置」といわれるぐらいに、感情を刺激するし不安や喜びを他者から学べる。感情移入するとその人が何を考え、何を目的としてその行動に移ったかの動機を推測できる。
それが他者理解になる。
友人Aは言葉を駆使しないタイプ。
そんなもんでレストランなどで注文する事を決してしないので、ちょいコミュ障かと思っていたけど、単なる恥ずかしがりなだけで、でもその反面では楽器を演奏しライブをしたりする。
楽器演奏の動機は仲間と音楽をしたいという願望があり、恥ずかしいという感情を無力化してんのかなーとか・・・人って上手いことバランスをとって生きている。
彼は彼なりの謎理論が有っての行動を間違わないで、それを選択できるってのがすげーなーって思った。
ちゃんとした行動規範があると、論理的思考っていらないな~などと思う。
かたや俺は「心の理論」の獲得は遅かったと友人を見てそう思えた。
喜怒哀楽があるなら、怒られない事のみに特化した対応を覚えたのがまずかったかもしれない。
俺の親は喜怒哀楽という部分で、怒る部分が強く、何故そこに至った経緯がよくわからない人物だった。
なので理由がわからないので怒るに対応するには、怒られない事で怒られる事象は隠すという流れ。
心の理論は3~4歳である程度獲得するそうだが、それは相手にも間違いがある誤信があるってことをわかることのようだ。
正否でなく、こちらが正しいなら相手が間違いで、こちらが間違いなら相手は正しいかもしれない。”かもしれない”って予測。
正否判断とかは教育とかの部分だろう。
いつも通りって予想通りなわけで、そこではいつもっていう心理がある。
なにもなく楽しそうな人がいれば「良いことがあったのかな?」と予測する
予想通りのいつもの人でないからそう考える。
簡単には動機を考えるってだけなんだけど、「何故?」をフラットに考えれない状態だと考えなく反応だけになる。
慣れると人は退屈する。自身の感情にも飽きると自身にも興味なくなる。
って言う感じなんだろうなー
予想外と予想通りのバランスで情緒は成長していき豊かになるんだろう。
期待をして裏切られて、嬉しかったり、悲しかったりでそのタイミングで運を羨んだり欲したり。
すべてはバランスとタイミングの過不足だと思える。
早い時期に獲得すると人生はきっと楽しいものだと感じれるんだろうな