麻酔科
胃潰瘍が3月だったか、2月だったかに発見された。
ずっと食欲がなかったが、動かないからないのだと思いこんでいた。
意を決して胃カメラを飲みに行ったら、胃潰瘍だと直ぐに分かった。
安堵した。
病気だと烙印が私を安心させてくれた。
薬を処方され数週間飲み続けると、体調が良くなった。
今まで、眠れない原因や気だるさも気のせいだと、もしくは自然治癒を考えていた。いや、病気でないとさえ感じていた。
目に見えて胃の内部に白い斑点が沢山ある。
私はストレスで胃潰瘍になった。
それが何故か、清々しく思え気分が良くなった。
すべて我慢で生きてたからか、体のダメージに異常に鈍感だ。
調子悪くなったら医者に行くが習慣化されてないから、調子が悪いがわからない。調子良いが思い出せない。
しかし、胃カメラを飲むときに打たれる麻酔はよく寝れる。当たり前だが、スッキリ寝れます。
そして麻酔科のお姉さんは異様にラフで明るい。
流れ作業的な内視鏡検査ですが、楽しそうに手際よく働いてるのに好感持てた。
5年
もう5年。
多分そのくらいなんだろう。何年経ったか、今何日で何曜日なのかわからなくなるぐらい、ただ寝て寝て横になりほぼ死体。
鬱診断を精神科で受けた5年前、立って喋ることが1分持たない、変な息切れしてたら、足にこむら返りが毎日多発、ふくらはぎ側面に瘤ができ激痛。
直ぐに病院にはいけなくカッターナイフで切ったら黄色膿みたいな何かと血が出た。
後に足専門の医者に行ったら、数十年前に合った交通事故が原因だと分かる。
レントゲンに小さな鉄が映る、骨のちかくで癒着している。切るとリハビリがいると言われ諦めた。
休めない。
血流が悪いから水を飲みなさいと言われたな。肌は干ばつを起こした大地みたいにひび割れていた。きっと水不足。
麦のやすい化粧水を買うが意味が無かったな、内部から水がないんだよな。
そりゃ静電気ばかり起こるよ。理由なく毎日、何年か分からないが不快だった。
肌が服に擦れるイライラ。
夏はマシだったはずがマシにならなくなってた。湿度関係なく乾燥。
変化して焦燥。寝れない。
寝てるが寝てない。
口が乾く、体が痛く起きれない。
沢山の原因や前兆があり、私は壊れ止まった。
胃潰瘍が治りかけだ。
2回目の胃カメラを飲む。今は腹が減るようになった。
まだ首や肩や腰やの歪みが治らないけど、水を飲み続けよう。
心の理論と映画
子持ちの知り合いと居酒屋で飲んでいた。
スターウォーズの映画が上映されるのだけど、そのチケット代は小遣いからだすので、子供分もかかって高くつくっていう話をしていた。
でも、子供には映画を見せたいって言っていた。
何故だろうって思っていたら、「俺の幼少期にも親父に映画によく連れて行ってもらったからなっ」だそうだ。
そういえば私は連れてもらった記憶はない。
この子持ちの友人Aさんは、人見知りで感情表現は得意ではない。
でも何を考えてるかわからないっていうタイプでもない。
大らかで他者の考えを自身とは分離して考える。
自己中心的であり利己的でない。優しい人だと俺は思っている。
人生じゃ誰かと顔を合わす機会が多くて、その中でその行動原理を読むことって多くなる。それを「心の理論」を理解しているというらしい。
他人なんてわからないってのが前提だけども、「他者理解」ってのは自分と他者は違う目的、意図、知識、信念、志向
そういった事を覚えるのに「映画」という媒体はいい。
何故なら映画は「感情装置」といわれるぐらいに、感情を刺激するし不安や喜びを他者から学べる。感情移入するとその人が何を考え、何を目的としてその行動に移ったかの動機を推測できる。
それが他者理解になる。
友人Aは言葉を駆使しないタイプ。
そんなもんでレストランなどで注文する事を決してしないので、ちょいコミュ障かと思っていたけど、単なる恥ずかしがりなだけで、でもその反面では楽器を演奏しライブをしたりする。
楽器演奏の動機は仲間と音楽をしたいという願望があり、恥ずかしいという感情を無力化してんのかなーとか・・・人って上手いことバランスをとって生きている。
彼は彼なりの謎理論が有っての行動を間違わないで、それを選択できるってのがすげーなーって思った。
ちゃんとした行動規範があると、論理的思考っていらないな~などと思う。
かたや俺は「心の理論」の獲得は遅かったと友人を見てそう思えた。
喜怒哀楽があるなら、怒られない事のみに特化した対応を覚えたのがまずかったかもしれない。
俺の親は喜怒哀楽という部分で、怒る部分が強く、何故そこに至った経緯がよくわからない人物だった。
なので理由がわからないので怒るに対応するには、怒られない事で怒られる事象は隠すという流れ。
心の理論は3~4歳である程度獲得するそうだが、それは相手にも間違いがある誤信があるってことをわかることのようだ。
正否でなく、こちらが正しいなら相手が間違いで、こちらが間違いなら相手は正しいかもしれない。”かもしれない”って予測。
正否判断とかは教育とかの部分だろう。
いつも通りって予想通りなわけで、そこではいつもっていう心理がある。
なにもなく楽しそうな人がいれば「良いことがあったのかな?」と予測する
予想通りのいつもの人でないからそう考える。
簡単には動機を考えるってだけなんだけど、「何故?」をフラットに考えれない状態だと考えなく反応だけになる。
慣れると人は退屈する。自身の感情にも飽きると自身にも興味なくなる。
って言う感じなんだろうなー
予想外と予想通りのバランスで情緒は成長していき豊かになるんだろう。
期待をして裏切られて、嬉しかったり、悲しかったりでそのタイミングで運を羨んだり欲したり。
すべてはバランスとタイミングの過不足だと思える。
早い時期に獲得すると人生はきっと楽しいものだと感じれるんだろうな
面白いということ
やっと最近はは冬らしくなった。冬は好きじゃないけれどね。
ちょっと前に約束をしていた友達と飲みに行った。
なんとなく居酒屋に飲みに行き、なんとなくキャバクラに行った。
その時になぜか友達が女に話題を振った。
「こいつ昔、自殺しようとしたんだぜ」
ええ?まじですか?w俺は思った。
このタイミングで着席5分で振る話題なのかそれ、いやそもそもキャバクラで喋る話題なのだろうか。軽く目を見てみた友は言った。
「俺は面白いと思う」
ええ、過去の話だし笑い話にするほうが俺の為になるとも言えるが、しかし俺はその話を具体的には君にしかしたことないんだよなーとマジ思った。
詳細に物語風に語った事は覚えている。
記憶を手繰り寄せてみよう。
あれは何歳だっただろう・・・二十代前半だったか後半だったかわからない。
多分後半ぐらいかな。
和食ダイニングみたいな店であー焼き鳥屋だったかな・・・記憶って曖昧だわほんと。
でも、その時は俺はやばかったので半分泣いていたな。
喋ることで救われる何かがあるんだよなーとその時は感じていた。
そもそも自分の事を語ると泣く(T_T)癖があったのでストレス掛かる行為なんだなーと分析できる。
最近はそのことがゾンビのように蘇る。思い出す頻度が増えると囚われる思考が出来上がってしまうってのもまたあると、正しい思考と悪い思考みたいなことだろうな。
些細なことなんだけど、こんな些細なこと考える事が何故起こるのかってのを自分なりに考える。暇なのもあるw人と関わらない喋らないので脳内会話が増えたってのもあるw
(単なるぼっちじゃねーかw)
釈然としないのネットでデュラララ掲示板の「自殺部屋」で意見を聞いてみる。
俺の自殺理由を書いてみると「芥川みたいだね」とか、どこの誰だかわからんねーみよちゃんに言われる。
意味がわからんねー。
おそらく芥川龍之介かなんかだろうけどあんまりしらん。
自殺するやつの9割だったかはうつ病になっているよ。
だが芥川はなんだったかな
・誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない……僕は君に送る最後の手紙の中に、はっきりこの心理を伝えたいと思っている。(中略)君は新聞の三面記事などに生活難とか、病苦とか、或は又精神的苦痛とか、いろいろの自殺の動機を発見するであろう。しかし僕の経験によれば、それは動機の全部ではない。のみならず大抵は動機に至る道程を示しているだけである。(中略)少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。(或旧友へ送る手記)
という感じの遺書残している。そんな大層なものでもないし、才能が斜め上に行き過ぎて逝っちゃう感じでもない。俺はただ漠然とした不安と死への興味本位。楽になりたいだけだった。
その当時を今振り返れば現在よりは安定していて、仕事は順調でなにしても褒められるし、出来ないことはあんまりなかった。上司もええ人だった周囲も安定していた。毎日同じ生活を過ごせばいいだけが見えていた。しかしわざわざ自分から崩すかなりくだらない理由で、後から入った年上がいたがその言動がチクチク鬱陶しかった。
今考えればどーってもことのない。でも何故か気になり不眠症になった。
朝起きれない。とりあえず起きれなかった。寝るのが早朝になっていた。だからが寝れないからそうなる。でも仕事は行かないといけない。それが治せないから数ヶ月それが続いた。
毎日神経すり減らしていた、その時「気疲れ」って脳裏でループしてたな。仕事が終わって家に帰ると毎日友だちが来るし何なんだろう。しかしやること無いし断ることもできず相談もできず。
論理性もなんもないって感じ、あれから数十年立ったけどなんも変わらない。
良いこともあったから良かったかもしれない。死ぬの辞める理由も「飽きるほどSEXしてない」とかくだらんことを目標にした。
目標間違ったわっwって今は思ってるw
まーそんな若輩者がまともに死にたいやつとかいないわけで、だいたいは希死念慮ってやつでなんとなく消えたい。
芥川の遺書とかも調べて、似ている部分はある俺も「愛着障害」ってワードに行き着くんだなー。
生育過程で該当するし、自身の持つ葛藤、性質を俯瞰して見てもシックリ来ていやになる。
発達障碍とたまに思う。でも先天性の脳機能障害の物のは別種で、後天的になるのはこっちだな・・・とほんとおもう。
そんなことを考えていると俺の友達も闇が深い。
この以前にも飲みに行ったが、昔話をしていた。
幼馴染が死んだ話だった。
飲みに行くきっかけがそれだったが、結局はどこかのシャッターの前で・・・何故あの場所だったのだろう。
結構長く飲んでいたのでどっかタイミング合ったやろって思ったけど、きっと語りたいが語りにくい話だからだったんだろうって今なら思える。
俺も知っているが特に遊んだ記憶がないので、思い入れもないので感情が動かなかった。
でも、時間を於いて考えるとかなりきつい出来事やわ・・・もっと話を聞けば良かったと思う。
償う事を願っても償えん罪という感じか、いやそもそもその是非すらよくわからない感じだけど、否応無しに自身に覆いかぶさってくる物みたいな事。
思考心理実験であるトロッコ問題があるけれど、あれを現実に置き換えるとレバーを引く人って感じで、そのレバー引く事になる人はPTSDになるよなーと思う。
宿命なんかもしれんけれど、俺よりもストレスに敏感でかかりやすい人間なんだなー。そして彼は自己犠牲が強いというか損得であんまり動かない面白いことを探すことが基準。全力で面白いことを探すっ
俺はどこに向かっているのかわからないが、彼には世話になったな(現在進行形でw)地縁も血縁もなくなっていく最中でだいたい優しい。不思議だわ。
面白いことが心を満たすと身を滅ぼすよって最近思うけれど、すでに俺自身が滅んでいるのに何いってんのって感じであると・・・
思うと面白い。
夜空の向こう側という歌は仏教的にはあってるらしい
この歌は仏教の教えに従う歌詞で坊さんもそうだというらしい。
あれから僕たちは 何かを信じて来れたかなぁ
マドをそっと開けてみる 冬の風の匂いがした
悲しみっていつかは 消えてしまうものなのかなぁ
Bメロ当たりのこの部分にある「悲しみはいつか消える」っていうのはそうだし、なんていうかこう自分の中にある悲観はなくなるし、楽観もなくなる。記憶が人間存在だと思う。ソレに囚われてもしょうが無い。
仏教的には今を大事に一生懸命、もしくは一所懸命(どちらも正解の言葉)で生きましょうって言う事だと思う。
すごいざっくりと馬鹿っぽいんだけどね。
と何故こんなことを思い描いたのかと脳内を散策するのだけど、「生きづらいな」とぼーとっする時間があるたびに私は考えるのです。
考えるのが好きなわけでなく、考えない行動の過去が「考えろぼけー」っていってるので考える事を辞めさせてくれません。
思考って自分でやってるようだけど、肺とか心臓とかと一緒で無意識に湧くものだと最近わかった。逆に止めるほうが難しいし、瞑想などあるけどあれは思考を止める方法だわ。
話がなんとなく脱線気味も「自動思考」が邪魔してんだろうなーと感じる。
生きづらいと感じるそれは自身の成長が社会とミスマッチ。
自身が遅いのか社会が速いのか?
自身が稚拙なのか社会が老朽なのか?
現在は発達障害なんて言葉が耳につくでしょう。
子供をもつ母親ならほぼどこかで聞く言葉。
数年前のTVでひきこもりと自閉症を混同した番組で、イラストが部屋に篭もる子供だった。一部では批判がでたがそのまま受け取ってる人もいるのかなー・・・
調べも、考えもしない人ならそうかもしれない。
自閉症スペクトラムって言葉は市民権を得たように感じる。一般的な会話の中で通じるし、でもまだ偏見があるのかなーと思ったりする。
統計じゃ10人に1人はそうらしい。
仕事なんかしてると顕著に「そうじゃね」って思う人がいる。他人は自分自身の鏡なんだろう。
なのできっと私もあのように映っている可能性がある。
それは若者にも年配にもいる。そんな私は自覚者だけどもADHDぽく、アスペルガーなんじゃね?っと思っています。ADHDは社会にでると強く現れる人が多い、締め切りに毎回、間に合わないや忘れ物などの頻度が多くケアレスミスばかりするみたいな人。
あーなんか書いていると、仕事上ではミスはあんまないなースケジュール管理もそうでもない。該当するのは個人的なものが多くを占めるのが私の場合だと気づいた。
上記のサイトがわかりやすい。
ADHDの主な症状は「不注意」「多動性」「衝動性」の3つだそうで、私は「不注意優位」「衝動性優位」かもしれない。
発達障害って大体は子供の頃の成長過程からの判断があるし、親から聞き取りで断定するので小学校あがったあたりで下のような状態がなけりゃいいし、年齢を重ねると収まるものばかりな印象。
・授業中でもじっと座っていることができず、歩き回ったりする
・注意力が散漫になって、興味の対象も次々と変化する
・物を忘れたり、なくしてしまうことが多い
・突然話しかけて他の人の邪魔をしたり、他の人に話しかけられてもぼーっとしてうわの空に見られる
・突発的な行動をおこすことがあり、自分の怒りの感情をコントロールできない
・友達と仲良くできずトラブルを引き起こしてしまうことが多い
・不器用で何度やってもダンスが上手く踊れない、工作が苦手などみられる
思い返すと歩き回る以外は全部当てはまるw
話しかけるくだりと工作が苦手ってのは当てはまらないぐらいか・・・
まー家庭がネグレクトなので話しかける相手がまず居ないので検証しようがないw図工、美術は褒められていたので苦手意識がないってだけで客観的にはうまくないし、自由に描く方面しかダメダメだしな・・・それはそれで自己肯定感を少し作れていたのだろう。
アスペルガーとADHDは合併しやすいというか発達障害ってくくりだとどっちが濃く出るかぐらいだし。
アスペルガー症候群10の特徴
1. 明確な指示がないと動けない
2. 場の空気を読むことができない、空気に沿った対応ができない
3. 冗談が通じず、会話の行間や間を読むことができない
4. 曖昧なことを理解できない
5. 好きなことは永遠とやり続けてしまう、話し続けてしまう
6. スケジュール管理ができない
7. 自分が興味のないことは頑なに手を出そうとしない
8. 急な変更にうまく対応できず、だまされやすい
9. 名前を呼ばれないと自分だと気が付かない
10. 相手の気持ちをおもんぱかれない、人を傷つけることを平気で言う
体をうまく動かすことや、手先を使った細かい動きが苦手なことが多いです。さらに、人とのコミュニケーションに困難を感じることが多いので、チームスポーツに苦手意識を持つ人はいます。
ASは想像力が著しく欠如していて、相手の気持ちを推し量れないってのが特徴のようなので私は当てはまらないと信じたいw
このように発達障害の記事やサイトはネットに溢れているけれど、個性としてその場所で有効に作用している人もいるだろうし、でも「生きづらい」って感じる人もいるだろう。
何故なんだろうと思うと、すごく乱暴に考えると日本は仏教思想で「ありのまま」自然のままが大事っていう感覚があるので、放ったらかしなんだと思うんだよねー。
それでもって仕事では画一的なことが多く、多様な考えを求めて拒否しているっていうジレンマ。右ならへを強制して、多方向に視野を向けアイディアを視座を多く持ってと、それは矛盾以外の何物でもないようなきがする。
要するに都合がいい、ご都合主義。人間関係は村意識が強く、親戚縁者何かの集まりのように、誰かをさげることによる雰囲気。そんな冗談関係ばかりで、出来たことは褒めない、褒めても嫌味を付け加える。揶揄るってのがある。
一般的な精神発達した定型者には、いい雰囲気なんだろうけど、非定型者だと混乱するというかよくわからん感じと受け取ると思うんだよなー。
多種多様にありのままにある姿で良いってのが仏教だと思うだが、そもそも根底がなくなってきているし、原理主義者ばりの独裁ブラック企業が多くなってさらに生きづらくなったって気がしてならない。
発達障害はある分野には適応しやすい職人系にはいいし、実際に職人系って多いな~って思うんだよな。とはいえその職種自体も少なくなり、社会に受け皿も減ってきた。マルチタスクに何でもこなすことも人に取っちゃ無理がある。
成熟して発達しても幸福感の上がらない変な国だよ。
映画感想 ボーダーライン
しきい値
一般に境界線、境目のことを指し、ある値以上で効果が現れ、それ以下では効果が現れないことをいう。デジタルでは、0と1の境界線のこと。
閾値ともいうらしい。
この言葉好きなんだけどいまいち意味がよくわからんよねー
単純に境界線ってものでなく、効果があるかないかなんだろう。
薬の効き目も1錠じゃダメで2錠飲んでみたいなこと?かなーと感覚的におもいます。
ボーダーラインというDVDを見ていて思った。
ボーダラインって境界線って事だろうけど、超えるとその先の世界は全部一定につながりが見えてしまうのか?この映画の場合は倫理観のようだけど、しかしこのタイトル自体が善悪の境界はどこ??みたいな邦題がついているのだけれど、イマイチそうゆう問題じゃないんじゃないのではないのか?と思わせる映画。
あらすじは映画comから
アメリカとメキシコの国境地帯で繰り広げられる麻薬戦争の現実を、リアルに描いたクライムアクション。巨大化するメキシコの麻薬カルテルを殲滅するため、米国防総省の特別部隊にリクルートされたエリートFBI捜査官ケイトは、謎のコロンビア人とともにアメリカとメキシコの国境付近を拠点とする麻薬組織撲滅の極秘作戦に参加する。しかし、仲間の動きさえも把握できない常軌を逸した作戦内容や、人の命が簡単に失われていく現場に直面し、ケイトの中で善と悪の境界が揺らいでいく。共演にベニチオ・デル・トロ、ジョシュ・ブローリン。
そして私はDVD見ながら、ギターを爪弾きながら、なんとなく倫理観のことを考えながらDVDをみていたのだけど、最近会社で送別会があってその時に年配の人が自身の評価が悪い、低いと感じていて、酒の勢いもあったのだろう。昔話なのかなんなのか「俺、人殴ったことあるぜ☆彡」みたいな事を言っていて、やばい奴認定されてた・・・
まーそりゃそうでしょう。
なんだかんだと環境に不平不満があっても暴力チラつかせたらやばくね・・・
と私はその話を聞いて思っていた。
その反面ではパワハラをしまくりの会社や違法行為しまくりの会社が、従業員がキレるよーと煽りを入れて、諭す為に法律守りましょう!暴力はダメっていうのも腑に落ちない感じもある。
何故か納得がないこと、違和感があることを腑に落ちないという気分になる。
そうゆう事なのだろう。
納得が行かないということは、例えると誰かが「あれはりんごです」といい。
しかし「いえ私はバナナと思う」っていう齟齬だと思う。
噛み合わない、共通認識がない状態。
倫理観の共通認識って日本って宗教が薄いからなのか生活習慣程度の宗教儀礼はあっても、がっちり経典やら聖書なんか読んで倫理的な行動規範はないよなーって思う。単純に親の躾に依存していて、その親の躾も親しだいだし連綿とちゃんとしてるところの人はちゃんとしていて、それから逸れちゃうともう無いんじゃないかなーと思える。良くも悪くもあるのは場の雰囲気の正しさ。神様より世間様にお世話様って感じでなんとなくうまくいく。
でもうまくいかないと元に戻すのに凄いエネルギー使ってる気がする。
映画の話に戻ると、もうメキシコの警察は麻薬カルテルに買収されまくりで、警察も疑わしいなので作戦も超法規で人権ってなに?って感じで、カルテルの一味捕まえて情報得るためならすぐ拷問みたいな感じ。
だいたい言う脅しは「家族を殺す。娘を20人に強姦させる」などなど・・・鬼畜ですわ。
すごく簡単にこの映画を表すなら、家族をなぶり殺しにされた検察官の復讐劇なんだけどね。カルテルのボスも最後は追い詰められて、命ごいをするのだけど「息子たちは助けてくれないか」って・・・
いやいや無理でしょ・・・って、だってあんた毎日誰かの家族を見せしめに殺していたのに、自分の息子達だけって無理っしょ。って俺は思った。
何故なら元検察官の立場なら、この息子達を助けたら、息子は復讐に燃えるでしょうって単純に思えたし、悪に悪で対抗していくと、正義とか退く感じだと思う。
いや、論理的に合理的考えると倫理なんてないんだなーと、そうするとやっぱ効率を命題に合理性に特化し、収益を上げる事がすべてっていう仕事や会社には、モラルやら倫理ってなくなるのが必然なのかなーとも思えたり・・・「金で買えないものはない」といった人が昔いたなーと・・・
色々と頭の中で現在とDVDを交差させてみていた。
でもあーいった世界に行ったことはないけど、あーゆう世界だからこそ家族が大事だとなるんだとも思える。